|
山田 徳兵衛(やまだ とくべえ、1939年7月 - 2009年4月27日)は、日本の実業家、人形問屋吉徳の第11代当主。出生名は忠男。 == 経歴 == 山田忠男は、吉徳の第10代当主だった十世 山田徳兵衛の三男として東京に生まれた〔。小学生の頃から、父に仕事関係の使いなどを命じられていた〔 - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧〕。 成蹊高等学校から、成蹊大学政治経済学部に進み、1962年に卒業した。学生時代には馬術に打ち込み、東京都代表として出場した第14回国民体育大会の馬術・一般の部「自馬中障害飛越」競技で優勝し、全日本の中障害でも優勝した〔。また、東京オリンピックの候補選手に名が挙がるほどであったという。 大学卒業後、貿易会社(野澤組)勤務を経て、1963年暮れに吉徳に入社した〔〔 - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧〕。 1965年に取締役となり、専務を経て、1975年7月に吉徳代表取締役社長となった〔〔1980年とする資料もある。企業家人物辞典製作委員のサイトの記述を参照。〕。1984年、徳兵衛を襲名し、十一世山田徳兵衛となる〔。 1986年、イギリス皇太子チャールズとともに当時のウェールズ公妃ダイアナが来日した際には、赤坂迎賓館で日本人形の説明役を務めた〔。 1989年から始まった、明治神宮における「人形感謝祭」は、山田が発案したものである〔。 2007年、社長職を長男の純一郎に譲り、吉徳代表取締役会長〔。 日本人形協会会長、東京都ひな人形卸商協同組合理事長、玩具人形健康保険組合理事長〔、浅草法人会会長などを歴任した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山田徳兵衛 (吉徳第11代当主)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|